皆さんは高等遊民という言葉を聞いたことはあるでしょうか。高等遊民とは大学などの高等教育機関を卒業しながらも就職したり公務員になったりして労働を行わず文筆活動を行ったりする人のことを言います。
今はニートという概念も定着していますが、明治から昭和の戦前にかけてはこのような階層がいたことが事実です。
私は高等遊民に強い羨望と憧れがあり、自分も高等遊民になりたいと思っています。
今回は高等遊民について解説します。
高等遊民とは

高等遊民とは明治時代に流行した言葉です。高等遊民とは高等教育機関を卒業しながらも、経済的に困っていないため官僚や公務員、会社勤めなどの労働をせず、芸術活動や文学活動、研究活動をして過ごす人のことを言います。
高等遊民の語源

高等遊民の語源は読売新聞での「官吏学校を設立すべし」により高等遊民が書かれているものが最も古い文献記録とされてます。また夏目漱石が1912年に発表した彼岸過迄でも高等遊民という語が出てきます。
高等遊民の語源ではありませんが、江戸時代にも高等遊民に近い概念の人たちはそれなりにいたらしく、旗本や御家人の次男、三男は長男が逝去し家督を継ぐか、他家の養子にいくか、特別に召し抱えられでもしない限り、世に活躍の機会を与えられず毎日日々を暮らし、退屈しのぎに何かを待ち構える生活送っていたそうです。
高等遊民とニートの違い

昨今はニートという言葉もあります。仕事をしていないという意味では高等遊民とニートは同じであるとも言えます。では高等遊民とニートは同じかというとそうではありません。
ニートは実家に住み、仕事もしないが家事もしないような人のことを指します。学歴の有無は関係ありません。高等遊民は高等教育を受けてることが必須条件であるという点でニートの定義とは異なります。
またニートは就労をあきらめやる気を失っている人のことを言いますが、高等遊民は就労はしていないものの志を持ち何らかの創作活動や芸術活動を行っている場合が多いこともニートとの違いです。高等遊民とニートは異なりますが、高等遊民と高学歴ニートは志以外の部分において概して同義と言えます。
高等遊民の実例

ここでは高等遊民の実例を紹介します。高等遊民には以下のような人たちがいます。
永井荷風
永井荷風は日本の小説家です。荷風はアメリカとフランスにに滞在し日本大使館や横浜正金銀行に勤務し帰国、明治末期には慶応義塾の教授となりました。
慶応義塾の教授であったため定職を持たないという概念からは外れますが、多くの文芸作品を残しました。文芸作品が好評を博するようになると多額の印税で生活に余裕が生まれてそれが更なる創作活動を後押ししました。
牧野 富太郎
牧野富太郎は日本の植物学者です。日本の植物学の父ともいわれており多数の新種を発見し日本の植物学の発展に大きな貢献をした人物として知られています。
牧野は商いと酒造業を営む裕福な家に生まれ、寺子屋に通ってから儒学者のもとで学問にはげみ小学校に入学しましたがのちに退学し、独学で植物を学びました。
若い頃は小学校の臨時教員もしましたが、植物学に没頭し、のちに上京し植物学の研究に没頭しました。生計は実家の酒造業が支えていましたがのちに破綻し清算に追い込まれました。彼はその後77歳まで東京帝国大学理科大学講師を務めました。
南方熊楠
南方熊楠は日本の博物学者・生物学者・民俗学者です。外国語や漢文を読み解く能力にも長じた人物でした。南方は東京での学生生活の後に渡米しその後大英博物館で研究を行いました。
帰国後は和歌山県に居住し民俗学、菌類の研究に没頭し南方は粘菌研究では新種の粘菌を多数追加するという功績を残しています。
父は酒造を経営しており実家は裕福でした。英国留学から帰国後は就職をせずに研究に没頭したため収入はなく、造り酒屋をしていた弟の経済的援助を受けて生活していました。
高等遊民になろうのまとめ

今回は高等遊民とは、そして高等遊民になろうということでブログを書いてみました。
人間、生まれてきたからには人生を労働をし企業の所有者の富の形成に尽くす、というような人生は送りたくないものです。自分のために、自由に、経済の不安なしに自己実現に全てを投じて生きることが最大の幸せだと思います。
このためにできることはたくさんあります。中には実家が裕福で生まれながらに高等遊民の環境を得られる方もいるでしょう。ですが自身の行動によって後天的に経済的な不安を払しょくし、自身の芸術活動などに時間を投入し続ける環境を整えることは普通に可能です。
可能なことはやりましょう。高等遊民になりたいな、そういう家に生まれたかったなと願っているだけでは何も進みませんが、「よし、私もそうなろう」と思い、そうなるための具体的な行動計画を策定し、それを実行すれば、同じようになります。
やるかからないかが分かれ目かなと思います。やらないけれど、ひがみを起こしみじめな人生のまま終わるのは私はよろしくないと思います。だれもが生きてきたときは裸一貫、でも60歳ごろには違う人生を送っている、これは生れて生きる方法が違うからです。
私は今はまだ高等遊民ではありません。ですが高等遊民になりたいという願望があり、高等遊民になるための具体的なステップを踏んで高等遊民になろうとしています。私も慣れるし、誰でもなれるはずです。
ぜひ、自身の自己実現のための行動の一環として高等遊民になることを目指してみてください。
このブログが皆さんの人生を豊かにするヒントになれば幸いです。
