2021年の投資はうまくいきましたでしょうか。2021年はアメリカのS&P500が最高値を更新し、コロナの影響もありつつもまずまずの成績を収めることができた方も多かったのではないでしょうか。
今回は私の黒歴史である「サブプライムショック」での大損物語を紹介したいと思います。
目次
私の投資の経緯
まずは私が投資を始めた経緯を紹介します。
2004年社会人一年目から外貨投資を始める
私は大学を卒業して2004年に社会人になりました。当時は実家暮らし。社会人1年目でしたが結構残業や休日出勤もしていたので手取りは月25万くらいありました。社会人1年目の冬のボーナスをもらった時点で貯金が100万円貯まりました。
普通預金で持っておいても金利はわずかです。有利な資産運用先を調べるためにマネー雑誌を買っていろいろと研究し、当時はまだ外貨FXや株式投資の仕組みが分かっていなかったので、まずは海外旅行をして馴染みがあった外貨投資を始めることにしました。
私はさっそくソニー銀行で口座を開設しました。当時としては外国為替の両替手数料が格段に安かったからです。私はまずこの100万円を使ってソニー銀行でニュージーランドドルの定期預金を始めました。確か金利は4.5%でした。100万円が1年後に104.5万円になるという計算です。
2005年に社会人2年目にして株式投資を始める
2005年、社会人2年目になり、しばらく働いていると半年くらいで100万くらい貯まりました。当時は実家暮らし、食費、交通費、娯楽費、教養費、交際費、電話代などを合わせて3万くらいで生活し、月20万くらいは貯蓄に回していたので100万は5か月もしないうちに貯まりました。
楽天証券の口座を開設し早速100万円を振り込んで株式投資をしてみました。初めて買ったのは住友金属でした。200円の株を1000株で合計20万円。当時は小泉旋風で株が上げ調子の頃でした。住友金属の株は一か月で440円になり、20万円が44万円になってうれしかったのを今でも覚えています。
株式投資をするだけで給料と同じくらいの金が簡単に増える。「これはチョロい」そう思いましたね。
2006年 外貨FXを始める
2006年にはソニー銀行に預けていたニュージーランドドル定期100万円が満期になったので、これを元手に外貨FXを始めました。開設した口座は当時もっともスワップポイントが高いことで有名だったセントラル短資FXです。
外貨FXを始めようと思ったきっかけは、当時YEN SPAのあるコーナーで当時、¥塾という会社の副社長が外貨FXで300万円を豪ドル円に投資し、毎月15万円のスワップポイント(金利差)を得ているというミニコラムを見たからです。これならば、インカムゲインで仕事をしないでアーリーリタイアができるのではないかと思いました。
当時はセミリタイヤという言葉が流行していた時代でした。仕事にうんざりしていた当時、何とかして悲惨な労働者としての生活から脱却したいと必死でした。
2007年 NHK 土曜ドラマ ハゲタカを見る
2007年の春先、土曜日の夜にチャンネルを回していたら、やけに薄暗い映像のドラマがやっていました。それが外資系ハゲタカファンドが日本を買いあさる物語「ハゲタカ」でした。
「腐ったこの国を買いたたく!」
「お金を稼ぐことがいけないことでしょうか」
2005年から2006年にかけて起こった粉飾決算やインサイダー事件を参考にして練りこまれたストーリー。私の求めているものはこれだっ、と思いました。そしてドラマの世界に引き込まれました。
当時私は、親からもお金を借りて400万円をFXに投入し運用していました。週末は、FX会社のオンラインセミナーを受講し、コンビニで日経新聞を買い、金融工学の本も買って勉強していました。このFXの金を種銭して、いつかは自分も日本を買い占める側に回るんだという希望を抱いていました。
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2007年 サブプライムで大損、一日で500万を失う
2007年、私は新卒で入社した中小企業を辞めました。理由は「バカバカしくてやってられない」と思ったからです。もう一つは、コツコツ準備して申請していた大学院に合格したこと、そして同時に外貨FXの一日当たりのスワップポイントが1万円を超えたことでした。
当時は米ドルの政策金利が5.25%、オーストラリアドルやNZドルはもっと高く、円を売ってドルを買うキャリートレードをするだけでキャピタルゲインを狙いつつインカムゲインを狙える時代でした。
一日1万円のスワップポイント、365日で365万円のインカムゲイン。これでもう一生労働とは無縁の生活を送れると思いました。当時は、これを種銭に投資事業を法人化し、海外から投資事業を行おうと考えていました。
一日で500万資産を失う
私は2007年夏に会社を退職しました。賃金労働からの解放、旧帝大の大学院への進学、会社の人は私に応援と励ましの言葉をくれましたが、表情は「こんな景気のいい時になんで辞めるんだ」という顔をしていました。給与所得はなくなりましたが私はセミリタイアに成功したことで有頂天でした。
セミリタイアし、大学院でビジネスの勉強をし、今後さらに膨らむFXのインカムゲインとキャピタルゲインで莫大な利益を得てそれを元手に投資会社を設立し、腐った日本を買いたたこうと思っていた矢先、悲劇が起こりました。
2007年8月、とうとうその月はやってきました。これまで家族から借りた300万円と自己資金の100万をつぎ込んで外貨FXをしてきました。2007年8月にはそのFX口座資産は900万円を超えていました。つまり500万円の含み損を抱えた状態でした。
それが2007年の8月14日の夜、サブプライムショックによるキャリートレードの巻き返しで円高が進行し、私のFX口座の資産価値は暴落。一時的には私の口座資産は70万円を下回っていた時もありました。あの時は吐き気が止まらなくなり、お先真っ暗な最悪の気分だったのをよく覚えています。
最終的に8月14日には米ドルの緊急利下げにより多少相場は持ち直し、私の口座生産価値は400万台に落ち着きましたがこれまで何か月かキープしていた900万円ほどの清算価値から、一夜にして500万を溶かすという大ダメージを負うことになりました。
私の資産価値は大きく毀損しましたが、大学院は支給型の奨学金を受給していたこともあり、退学ぎりぎりの成績を出しながらなんとかやってました。但し貧困妄想が頭から離れなかったためアルバイトにも行ってました。
その後、2008年リーマンショック
大学院に行って授業や英語学校に通うなか、2008年にはサブプライムショックで消耗した私の資産にさらに追い打ちをかける大事件が発生しました。それがリーマンショックです。
これで残ったFXの口座資産はほとんどゼロまで吹き飛ばされてしまい、退場を余儀なくされてしまいました。レバレッジをかけずに塩漬け投資をしていた株式は、資産価値は下がりつつ低空飛行をつづけて配当を出してくれていました。
2011年 純金融資産20万円からのスタート
2011年、同時期に入学したクラスメートより1年以上遅れて大学院を卒業した私は、純金融資産20万円から新たなスタートを踏み出しました。2011年には新たな就職先も決まりそこから新しい生活が始まりました。
親への借金返済
実は私は2006年に親に300万円を借りてFXを行っており、その借金が2011年になっても残ったままでした。2011年に会社に就職してから実家に帰るたびに10万円づつを返済し続けました。
2011年以降盛り返す
2011年の東日本大震災で底を打った私の資産は、2011年以降給与所得による資金注入と株式や投資信託への積極的投資で回復しました。これは、新しく就職した会社に社宅があり、住居費を押さえることができたのと、海外出張があったため、生活費を抑え込みながら貯蓄を増やすことができたおかげです。
2013年ごろには親に借りていた借金300万を返済し終え、やっと資産形成にドライブがつきました。
2021年にはやっとマス層(世帯純金融資産3000万未満)からアッパーマス層(世帯の純金融資産3000万円以上5000万円未満)にまで這い上がってこれました。
現在は日本株、中国株、アメリカ株で高配当株投資を中心資産形成を行っています。日本株は株主優待にも注目して株主優待と配当の総合利回りが5%以上の銘柄を中心に投資を行っています。
FXは往時よりも規模を押さえおおむね100万円未満の金額で低レバレッジとスワップポイントを狙いつつスイングトレードを行うという投資スタイルで細々と続けている次第です。
またインカムゲインを強化するため、ソーシャルレンディングで分配金をもらっています。ほったらかしで年率10%の利回りがあります。
2022年 中古区分マンションで不動産投資を開始
2022年1月には中古区分マンションを融資を受けて購入し、不動産投資家としてスタートを切りました。不動産事業は、銀行や政策金融公庫から融資を受けることが可能です。融資をうけることで投入する自己資金を減らし適切な財務レバレッジを聞かせながら賃貸収入という安定したインカムゲインを得ることができます。
金額が大きいため適度な頭金が必要であること、収益がでる物件を見定めるにはそこそこの勉強が必要になることから参入障壁が高い事業分野であるものの、一旦軌道にのれば資産収入を得ることができます。また一件目の購入と運営で経験が蓄積されれば次の横展開と事業規模の拡大はハードルが低くなります。
不動産賃貸事業は世界の資産家の誰が参入している定番の投資事業です。これをやらない理由はありません。やっと不動産賃貸事業に参入できるだけの財務的体力がついてきたということです。大学を卒業してからここまで20年近くかかっています。
2022年は新たに仮想通貨への投資を始めました。今は先高観のあるビットコインを小分けにして購入しています。今後はビットコインをレンディングして5%弱のインカムゲインもゲットできるようにしていきます。
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今後の資産計画
ここでは私の今後の家計および資産計画を紹介しようと思います。
社会福祉制度を資産収入を掛け合わせてのFIRE
ただ今、いろいろと社会福祉関係で何か使える制度はないか探しています。社会福祉制度による補助と金融資産からのインカムゲインを掛け合わせて年240万円の不労所得を得る仕組みを作っています。これが成功すれば一旦FIRE達成です。FIREを達成したらどうするかというと、増えた余剰を使ってさらなる余剰を産むための再投資を行います。
クラウドファンディングでベンチャー投資
今後はもう一つ、クラウドファンディングを活用してベンチャー企業への投資も始めようと思っています。私が利用しようとしているのは株式投資型のクラウドファンディングサービスである「ファンディーノ」です。
ファンディーノは、ベンチャー企業に投資できる機会が少ない個人投資家が小口でベンチャー企業に投資できるようにしたクラウドファンディングです。本来は投資家一人最低数百万の出資が必要となるベンチャー投資を、一口10万円からという少額投資で行えるサービスです。
ファンディーノで募集される企業は、公認会計士の審査など厳正な審査を通過した企業のみとなっています。株式公開によるイグジットが決定している案件もあります。ファンディーノにて募集される案件にはエンジェル税制という優遇税制が適用される案件があり、所得税の圧縮にも効果がります。今年はファンディーノを通じて、プチエンジェル投資家になろうと思います。
サブプライムで失敗した体験談のまとめ
今回は、私の資産形成の軌跡、そしてサブプライムで大失敗した体験談を解説しました。今思い返せば自分の世間が狭かった、読みが浅かったといろいろ反省するところもあり笑い話で済みますが、当時は本当にお先真っ暗という感じになったことを今で覚えています。
投資は一度は失敗が必要という方も中にはいますが、投資は本当は一回も失敗しないで順調に成功したいものですね。できれば私のような大失敗をしてしまう方が少しでも少なくなることを願い、この恥ずかしい体験談を掲載させていただきました。
今回のブログが皆様の投資と資産形成の助けになれば幸いです。