生き方

板東英二伝説 ~副業と起業精神は板東英二に学べ~

板東英二伝説

みなさんはプロ野球選手の板東英二をご存知でしょうか。板東英二は元プロ野球選手、野球解説者、タレント、俳優、であり司会者もこなすマルチタレントです。

野球選手時代には実業家としても若いころから活躍していました。我々は、板東英二の副業と起業精神から学ぶところがあると感じました。本日は板東英二伝説を解説します。

板東英二の生い立ち

ピッチャーピッチャー

まずは板東英二の生い立ちから紹介します。

生まれは満州国東安省虎林県で、家族は現在の吉林省の図們市で料亭を経営していました。
5歳で内地に引き上げ、後に父親の故郷である徳島県図們市で育ちます。幼少期は父親の仕事が不安定なこともあり、生活にはかなり苦労したようです。中学2年で野球部の先輩から誘いを受け野球部に入部し、3年には野球部のエースとして活躍するようになります。

高校野球時代

徳島商業高校に入学した板東英二はエースとして活躍3年の春期四国大会では、準決勝を高知商業との戦いを延長16回で戦い抜き、翌々日の決勝では延長25回まで進みました。決勝戦は敗退しますが、2回の試合で41回を投げぬいた板東英二の活躍は全国紙でも報道されました。

日本高等学校野球連盟は、この試合をみて延長戦のルールを変更しまし、延長18回裏で引き分けの場合には試合を終了し、後日に再試合を行うことになりました。つまり、板東英二が高校野球のルールを変えた、と言うことになります。

板東英二の所属していた徳島商業は甲子園の準優勝に留まりますが、彼が記録した大会を通じて出した1試合25奪三振および、大会通算83奪三振の記録は、現在も破られていません。

中日ドラゴンズ

板東英二は高校卒業後、中日ドラゴンズに入団しました。1年目から1軍に起用され4勝、2年目は10勝をあげオールスターにも選出されます。21歳では開幕投手に抜擢されますがその後は肘の故障もあって低迷しますが後にリリーフとして復活します。その後は成績は下降し1969年に現役を引退しました。

タレント活動

板東英二は現役引退後、野球解説者になり、人気を博しますが、1979年のシーズン途中にCBCから契約を解除されてしまい、活動を関西に移しました。その後はラジオパーソナリティーとしても活躍します。関西で知名度を得てからは、世界ふしぎ発見やマジカル頭脳パワーで人気を博します。

事業家としての板東英二

投球するピッチャー投球するピッチャー

板東英二は中日に入団して1年目から事業家としての才覚を発揮します。板東英二はプロ野球選手となり、周りの選手が体格と才能に恵まれているかを思い知り、これは自分は選手としては長く活躍できないと直ぐに悟りました。ここから板東英二の事業家人生が始まります。

ジュークボックスの営業

父が自身の契約金を株に投入し大損失を被ったことの敵討ちと称し株式投資を始め、また当時タイトーの名古屋支店長と知り合った縁でジュークボックスの営業も手掛けていた。名古屋から関西本線、紀勢線を乗り継いで南紀白浜の温泉街や喫茶店に売り込んでセールスを行った結果一回の営業行脚で相当な利益を手に入れます。

しかしそのジュークボックスはドイツ製で潮風に弱く、海辺の旅館のホールにおいて置いたジュークボックスは頻繁に故障するという苦情をうけてしまい、早々とこのビジネスからは撤退することになりました。

牛乳店の経営

中日の2シーズン目、中日は関西で試合がある際には、兵庫県芦屋市の旅館に宿泊していました。板東英二はそこに宿泊していた時には朝から近くの老夫婦が経営する牛乳屋さんに牛乳を買いに行っていましたが、その牛乳屋が近く廃業しようとしていることを聞きつけました。そしてに兄とともにこの牛乳店を買い取りました。板東英二が19歳の頃です。

それから板東英二は関西遠征の際には牛乳配達を手伝っていました。この牛乳店は、その後目の前に大きなスーパーができ、そこで販売している牛乳の販売価格が、板東英二の牛乳店が仕入れている牛乳の値段よりも安いという外部環境の変化から廃業を余儀なくされています。

サウナとナイトクラブ、割烹の経営

中日ドラゴンズに所属し名古屋に居を構えていた板東英二は身銭を切って1億円の自己資金でサウナ、ナイトクラブ、雀荘、割烹を営む4階建てのビルを建設しました。この板東ビルの営業開始日は、中日ドラゴンズは広島で試合がありましたが、板東英二は仮病を使い試合を休んでおめでたい営業初日に立ち会いました。

板東英二は中日の試合中に負けるとわかったときはぐっすり眠って休養を取りながら朝から晩まで板東ビルの運営をしていましたが、板東ビルは手抜き工事による雨漏り、地盤沈下問題による地下水のくみ上げ禁止等いろいろな問題を抱え最終的にはサウナの常連客にビルを売却しています。

板東英二は様々なビジネスを行いながら野球選手をしていましたが、ある日監督から「副業を辞めろ」と言われました。「それなら自分の人生一生保証してくれるのか?」と反論したところ、その年に中日ドラゴンズを首になりました。

野球解説

現役を引退した板東英二はCBCの野球解説者として活躍しますが、ある日中日対巨人のラジオ中継でのやり取りが原因でシーズン中に解雇されてしまいます。本人曰く、シーズン中に解雇された野球解説者は板東英二だけだとのことです。

野球グッズの販売

板東英二は現役引退後野球解説をしながら中日ドラゴンズの野球帽、マスコット、ユニフォーム柄のパジャマなどを販売していました。これは当時初めての球団公式グッズと言われています。

当時板東英二は、野球試合が始まる前に、ドラゴンズグッズを売りさばき、野球解説をし、野球解説が終わったら急いで野球観戦を見終えた観覧客にドラゴンズグッズを販売するという忙しい日々を送っていました。

球界の麻薬王?

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板東英二の奥さんは黒田男爵家の出身であり、父が早世した奥さんは母方の祖父の邸宅である成城の松本家にも出入りしており板東英二も東京に遠征の際には寝泊りをさせてもらっていたこともありました。

板東英二はこの松本健次郎邸でスポーツ新聞の取材を受けた際に、邸宅の庭の可愛らしい一輪の花を指さしながら娘とツーショットを取りました。翌日、その記事が売店で販売されるや否や、7,8人の刑事が邸宅に押し寄せてきたと言います。

何と、板東英二が邸宅の庭で指さした花は、ケシの花(アヘンやモルヒネの材料)だったのです。その後、板東英二は球界の麻薬王と言われることになってしまいました。

株式投資

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板東英二は自分の野球人生はそう長くないとプロ1年めから確信したことから株式投資を猛勉強し、電機メーカー株の購入から一定の成果を上げます。その後は島田紳助にも財テクを指南しますが、バブル崩壊で甚大な打撃をこうむりました。

横山ノックからきいた「養命酒」の健康効果を、株についてと勘違いした板東英二は養命酒の会社の株を買ってしまいえらい目に遭っています。

脱税問題

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その後板東英二は、自身が役員を務めていた事実上の個人事務所「オフィスメイ・ワーク」
(働いていこう、迷惑をお掛けします、をかけ合わせた名称)が名古屋国税局から税務調査を受け、約5000万円の所得を申告していなかったことを指摘されました。これには過去20年にわたる植毛についての経費の認識に相違があったことを明かしています。

まとめ

相談する野球選手相談する野球選手

本日は球界で数々の記録を保持し、尚且つ様々なビジネスを行い、球界の麻薬王の異名も取り、脱税問題もあった板東英二について解説しました。

高校野球、プロ野球選手としての活躍もさることながら、我々が学ぶべきは、板東英二の創業精神、起業精神です。19歳で牛乳屋を買い取り、ジュークボックスを温泉宿に売りまくり、自分で板東ビルの雨漏りを直して、ボイラーに火をつけ、割烹の下準備をし、それから野球場に向かい、試合中はしっかり休む精神です。やっぱり金は儲けなければなりません。儲けて儲けて儲けまくりましょう。

ABOUT ME
こんじゃるか
こんじゃるかブログを運営しているサラリーマン投資家です。中堅私大を卒業後、中小企業に就職、27歳で退職後大学院進学、大学院卒業後2011年から現職です。うつ病で休職→復職→再休職も経験してます。投資を始めFXを中心に、投資信託、高配当株、ソーシャルレンディングで資産運用中です。節約術も紹介します。
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