最近ネットで時々目にする「挨拶不要論」。皆さんはどう思いますか?古臭いあほの人たちは挨拶はマナーだとかいう人もいますが私は挨拶不要論は真実であり、ぜひこの考えが広まってほしいと願う一人です。
今回は最近議論が交わされている挨拶不要論について挨拶不要論に賛成の立場からお話をしたいと思います。
目次
挨拶
会話挨拶は人と出会ったときの始まりにかわす言葉のことであり、日本では朝はおはよう、昼間はこんにちは、夜はこんばんは、などがあります。それだけです。ほかに特に意味はありません。
挨拶不要に関する議論
会話昔から、人に出会ったら挨拶するのが当たり前、という価値観があるらしい一方、最近は挨拶が不要であり挨拶をしないことを公言する人もいるとのことです。これは勇気ある発言であり賞賛されるべきです。
ビジネスマナーに挨拶というものがあるということですが、これも誰かが考えて人に押し付けている価値観にすぎません。親しい間柄でもないのに挨拶を強要されるのか、わざわざ挨拶をする必要があるのか、私は常に理解に苦しんでいます。
私の場合、一応挨拶されたら愛想なくイヤイヤですが挨拶は返しています。適当に挨拶をします。でもいちいちあいさつしなくてもいいようにできるだけ人間と出会わない道を通り挨拶をしなくてもいいように努力しています。理由は嫌いだし意味がないと思っているからです。
挨拶をしない理由
会話挨拶をしなければ損をする、デメリットがあるという方がいる一方、私は挨拶をしないことには相応の理由があると考えています。ここではそれらを取り上げます。挨拶をしない理由は以下の通りです。
めんどっちいから
挨拶をいちいちするのはめんどっちです。人の顔見ていちいちあいさつしてたら時間がいくらあっても足りません。
挨拶をいちいち気にする人間は日本くらいじゃないかと思います。普通につんとしていても人生特に問題はないのにあほなところだけ気にするのが日本人です。とてもくだらない民族性です。
挨拶が嫌いだから
挨拶をするのが好きな人もいれば挨拶が嫌いな人がいます。私は挨拶が嫌いなタイプです。
挨拶は人間の基本という固定概念がある人が大多数なのでしょう。好きな人は挨拶をすればいいと思いますが、その価値観を挨拶が嫌いな人にまで押し付けるのはやめていただきたいです。
やっても意味ないから
挨拶が大事という嘘をつく人もいるなか、私はあいさつはただの挨拶以上の意味はないという認識を持っています。挨拶は無駄な雑談の一つというカテゴリーです。挨拶がコミュニケーション能力の指標ということもありません。挨拶はただの挨拶です。
時間の無駄だから
挨拶一回にかかる時間は実際にはわずかです。ですが一生分の挨拶時間の総トータルにすると馬鹿にできるものではありません。
挨拶を重視する人はその時間を捨ててしまい自分の時間を失うという損失を軽視してしまっています。塵も積もれば山となる。挨拶に要する時間も積もれば山のごときです。
挨拶ごときにこだわるのは器が小さい人間だから
なぜ日本人は挨拶にこだわり、挨拶ができない人間の評価を下げるのか。私にはまったく理解できません。日本人にはおそらく挨拶ごときにこだわる器が小さい人間がいかに多いことがわかりますね。
人間の行動の邪魔をするから
挨拶は人の行動の邪魔をします。人の行動や思考の腰を折るということです。これは人に迷惑を与える行為ですし、人に迷惑を与えることは特に自分の利得には関係がないとしても自分が他人から行動や思考の邪魔をされるわけですからたまったものではありません。
挨拶をしないメリット
会話挨拶をしないメリットはたくさんあります。ここではそれらを紹介します。挨拶をしないメリットは以下の通りです。
挨拶をする面倒が減る
挨拶をしなければ挨拶する面倒が減ります。1秒や2秒のことだと思うかもしれません。時間的にはその通りです。ですがその1秒2秒が人間の思考を止めてしまうのです。
これが大きな損失となります。人間の脳はシングルタスクでしか機能しません。一度集中が途切れると再度その作業に意識を戻すには1秒以上の時間を要します。ですからいくら挨拶は簡単だと言ってもばかにしてはいけません。
日本人の労働生産性の低さはこのようなくだらない習慣が引き起こしていることを世の人はもっと認識し恥ずかしい行為を他人に強制していることを顧みる必要があります。
生産性が上がる
挨拶という人に意識を向ける行為を省略できれば生産性はぐっと上がります。上でも説明した通り人間の集中力は一度切れるともう一度集中状態に戻るには時間がかかります。
挨拶という断絶を無くすことによりゾーンに入る時間が長くなり集中力がアップし生産性は格段に上昇します。
挨拶ごときにこだわらない器の広い人物と認識される
挨拶ごときに小さなことにこだわらない態度を示すことにより、小さなことにこだわらない心の広さ、器の大きさを表すことができます。しがらみや礼儀作法などつまらないことをものともしない懐の深さを示せることになります。
日本人が挨拶に無駄にこだわる理由
会話日本人が挨拶に無駄にこだわる理由は果たして何なのでしょうか?それには以下の理由が考えられます。
みんながやってるからやるものと思い込んでしまう
日本人はあほなのでみんながやってることはやるべきものだと思い込んでしまう習性があります。
「みんながやってるから」ということに疑問をもたないという点でかなりイタいです。みんながやってることが良いことだとは限りません。もっとよく頭を使いましょう。
小さい時からの教育の影響を受けている
人はなぜ挨拶をするのか、それは小さい頃から教育の影響で「挨拶しなさい」とわけもわからずに言われてそれをなんとなく惰性で続けているからです。
挨拶をするという教育はやめた方がいいと思います。挨拶は自由です。してもいいししなくてもいい。多様な価値観が許容される社会になってほしいです。
礼儀作法をわきまえた人と思われたい
挨拶をしようとする人間は礼儀作法をわきまえた人間だと思われたいという自己顕示欲が強いです。
サラリーマンで人にこき使われたり、零細事業をしながら人に頭を下げて回る段階では礼儀作法も一種の道具として機能しますが礼儀作法は人間が生きていくうえで必須のものではありません。
あいさつ不要論はこれから肯定されるのか
私の私見ですが挨拶不要論はこれから肯定されていくと思います。価値観の多様化にともない、あいさつごときくっさいことを気にする人はどんどん減ると思います。あいさつを大事にするあほが社会にたくさんいる理由は日本の雇用制度とも関係があります。
世界的に特殊な新卒抜染主義やゼネラリストの育成に主眼をおいた会社への忠誠心をもとにした雇用形態は今後変化していくはずです。ある種の村社会と言ってもいいでしょう。
今後は自身の能力、キャリアで仕事をするというスタイルがどんどん定着し挨拶の重要性もそれに伴い低下するでしょう。
今後はリモートワークやフレックスタイムでの勤務、フリーアドレスの勤務体系が現業労働者にまで及ぶと推測します。
そのような職場では朝礼や部内ミーティングという概念がなくなり、24時間自由に勤務時間を選ぶことができるようになり、連絡も電話や口頭ではなく、メッセージなどでのやり取りが主流になります。そのような労働環境では挨拶はそれそのものが必要なくなるでしょう。
あいさつ不要論のまとめ
会話今回はあいさつ不要論について解説しました。私はあいさつ不要論者です。あいさつにこだわる人間を見下し、あほだと思っています。あいさつごときつまらないことにこだわらず自由にのびのびと生活でき、多様性を認める社会が訪れることを心から願う市民の一人です。
あいさつは大事だ、あいさつできないやつは仕事ができない、という時代遅れでダサい考え方、価値観を持つ人間が速く絶滅することを願いまた次のブログを書こうと思います。
このブログが皆さんの人生の充実の最大化に寄与できれば幸いです。